かなり古そうなソニーのマンガン電池。白地に黒と赤のデザインはかなり個性的。「+」と「ー」の表記はこの時代の電池にしてはわかりやすく、親切と言える。表示されている“SONY”のロゴは1962年頃のもののようで、古い電池なのは確かなようである。
下部には「TOKYO JAPAN」と記載してあり、ソニーというブランドが日本の東京から発信されているという意志が伝わってくるようである。今のソニーにも是非、見習って欲しいものである。
この電池の存在は幼い時に読んだ本、『プログラム式こどもカラー図鑑(7)“えねるぎー・えれくとろにくす”(講談社刊)』で確認しており、この柄の電池があることは知っていたのですが、実際に見るのは初めてでした。ちなみにこの本の発行日は昭和45(1970)年である。
電池の側面。注意書きは一切無い。下部には『SONY CORP.』と記載、その反対側にはJISマークが記載されており、『C-8501 736 T.K.C.』と記載されている。
JISマークの認定番号“736”は高砂工業の境工場であり、同工場製であると思われる。当時のソニーは電池を自社生産できる技術は持っておらず、他社生産であったようである。
ソニーが本格的に乾電池の自社生産に乗り出すのは当時、エバレディブランドの電池を発売していたユニオン・カーバイドと合弁して設立した“ソニー・エバレディ(現・ソニーエナジー・デバイス)”を設立してからで、ソニーの創業者である盛田昭夫氏と井深大氏は『自社生産の電池を持ちたい』という願望がかねてからあったという(※)。
写真下の電池はJISの認定番号が同じく“736”の『時計用乾電池 明治セロックエコー』。こちらには“TAKASAGO KOGYO CO.,LTD. MFR.”と記載してあり、明確に高砂工業製であることがわかる。
以上のことから、略称の「T.K.C.」とは上記会社名の略称である『Takasago Kogyo Co.,ltd.』の意味であると思われる。
プラス・マイナス側。プラス極のキャップにも“SONY”のロゴが入っており細かい。マイナス極の刻印は『095H』と刻印されている。高砂工業は後に東洋乾電池と合併、東洋高砂乾電池(現・トーカン)となる企業であるが、同社が合併したのが1972年10月のようで、更にこの電池が掲載されていた本が1970年なのを踏まえて、刻印を読むと1965年9月頃の電池だろうか?
ちなみに写真左は『時計用乾電池 明治セロックエコー』であるが、同じ工場製なのに刻印の印字が異なる。こちらの刻印は『034A』。1964年3月製?
【参考文献】
Sony Japan|ソニーグループ ポータルサイト
「Sony History 第21章 他業種へのチャレンジ」
ソニー株式会社, 1996年