[マツダ] Toshiba 東芝乾電池 UM-3 1.5V

今回はかなりレトロな「マツダ」ブランドを冠した東芝の単3マンガン電池を紹介します。“マツダ乾電池”と言えば東京芝浦電気の過度経済力集中排除法適用で工場分割の憂き目に合い(※)、一旦マツダブランドの電池が消えるものの岡田乾電池との販売提携により同社製の“マツダ乾電池”が再び発売されるという紆余曲折の歴史は有名な話であります。
今回紹介する電池は「マツダ」ブランドを冠するものの比較的後期の電池となります。

※:この工場分割で生まれたのが、現在の大手電池メーカーFDKである。東京電気化学工業として創業された。当初は旧マツダの“ノーベル乾電池”として売られたという。

この電池は1957年経営不振に陥った岡田乾電池の事業を引き継ぎ、東京芝浦電気が経営参加した“日本レイ・オ・バック乾電池”の頃に発売したもので、「東芝電池三十年史」では『新意匠の東芝乾電池』として紹介されています。
左の写真は1958年4月号の“東芝レビュー”に紹介されている当電池の詳細で、記事には『灯火用のほか、フラッシュガンや小形のトランジスタラジオ用として最近非常に需要が増加しつつある。』とありました。
更に後期のものは同じデザインでマツダマークが無い、東芝傘マークのみな“東芝乾電池”も存在したようであります。

電池の外観です。正面の模様が何となくロケットのように見える独特のデザインでレトロフューチャーを感じさせ、なんともステキですよね。マツダマークが見えるもののあくまで“東芝乾電池”であり、“マツダ乾電池”ではありません。
社名表記は“東京芝浦電気株式会社”で定価25円。東芝電池三十年史によるとこの電池が発売された昭和32年は白米(10kg)が870円であり、電池が高価であったことが伺えます。


よく見てみると、今回入手した電池の中に一つだけ“東京芝浦電気株式会社”の「気」の字が「」と古い漢字になっているバージョンが混在していました。恐らくこちらが古い(最初期?)のものであると推測されます。
価格表示も異なっており、東京芝浦電気バージョンでは“80Y8”というロット番号かな?と共に「定価25」となっていて、東京芝浦電氣バージョンでは単純に「定価25」と書いてあるのみになっていました。その代り電池本体には謎の印字らしき表示が見られましたが、判読は不可能でありました。
最後にプラス・マイナス側です。プラス極は灰色の樹脂…、と言うかアスファルトかもで封口されています。マイナス極は亜鉛缶むき出しで、写真右に見える東京芝浦電氣バージョンは液漏れが特に酷い状態です。
外装は紙巻に透明なチューブで覆われているというようなもので、金属外装の単3マンガン電池が登場する前はよく見られたものです。

【参考(引用)文献】
東京芝浦電気株式会社
“14.4.2 乾電池”
『東芝レビュー』1958年4月号, P456-457

東芝電池株式会社
『東芝電池三十年史』1985年


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