マクセル数字シリーズ電池の謎

popeye_1かつて日立マクセルが発売していたマンガン電池には“100”“200”“400”の様な数字のブランド名を冠していました。かつて、本ブログではその中でも黒マンガン相当と思われる“400”を紹介しました
その頃に発売していたアルカリ電池のブランドはどうだったのでしょうか。その謎は1976年6月に創刊された“POPEYE(ポパイ)”という雑誌にありました。

 

写真の“POPEYE”創刊号は実際のものではなく、食玩ブームが起きた時に発売された、大人向けグリコである“タイムスリップグリコ”の“思い出のマガジン”というもの。このシリーズは昔の雑誌をミニチュア化して復刻したもので写真の“POPEYE”も隣に置いてある単3電池と比べると小さいことがわかると思います。

popeye_2この本で凄かったのが、紙面の内容も出来るだけ再現しているのみならず、広告も当時掲載していた広告主に許可を得て出来るだけ再現しているという点です。
ただし、やはり許可を得られなかったもしくは連絡がつかなかった広告主があるのか、一部はグリコの広告wで穴埋めされている(写真左下)。ちなみに写真右下はかつてレコード針で一世風靡したナガオカ(現・ナガオカトレーディング)の広告。

popeye_3この流れから感づいている方もいるとは思いますが、この雑誌にはある電池の広告が掲載されています。問題の広告は写真のページ左下の広告です。

 

 

あまりにも小さすぎるので拡大してみました。

popeye_4

問題の広告はストロボとの合同広告で、『チャンスは、もらった。』というキャッチコピーとともにマクセルのアルカリ電池の広告も掲載されています。

安定したパワー、抜群の
長寿命、アルカリ乾電池
maxell(R)“1000”
日立マクセル株式会社

とあります。つまり、マクセルの数字シリーズのアルカリ電池は“1000”だったのです。この雑誌の発売が1976年6月で、以前本ブログで紹介したマンガン電池の“400”が1979年2月製造ですから、おおよその時期も一致しています。
ちなみにストロボの方は“kako”ブランドのもので、かつてはカコストロボという独立した企業として存在していましたが、1970年代に倒産。その後日立コンデンサ(現・日立エーアイシー)が事業を引き継ぎますが、程なく撤退してしまいます。この広告は“kako”ブランドのストロボが日立コンデンサだった頃のもの。日立グループ繋がりでマクセルのアルカリ電池との合同広告になったのではと思われます。
それにしても昔の広告なんて、何の旨みも無いのに掲載許可を得られたというのが凄いと思います。日立マクセルと日立エーアイシーの心の広さに感謝ですね。この広告は当時のアルカリ電池の用途が主にストロボであったことを物語っている電池マニアとしては歴史的価値のある広告でもあります(大袈裟かもw)。

★関連記事
maxell “400” SUM-3(SG)
→本記事で掲載している雑誌の広告に掲載されていたアルカリ電池とほぼ同時期に発売されていたと思われるマンガン電池を紹介した記事。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です