世がドラクエブームだった頃、自分がハマっていたファミコンソフトは“ピンボール”だった。 日々、黄色いカセットをファミコンに差し込んでは毎日サルにようにプレイしていたのを覚えている。 大人になってからだ、このゲームのプログラムを担当したのが当時ハル研究所に所属していた 岩田聡氏だったことを知ったのは…。 そんな、現・任天堂社長であった岩田聡氏が55歳という若さでお亡くなりになられた。 テレビではDSやWiiの開発にスポットライトが当てられているが、「バルーンファイト」や「マザー2」と言った、 名作ゲームを生み出した人物でもあることを忘れてはいけない。 心より、ご冥福をお祈り致します。 |